歴史

二千年の歴史を持つと言われる結城紬。
遙かなる時の流れを感じて頂けましたら幸いです。

紀元前1万~6千年前から現代:はじまりが息づく手つむぎ

結城紬には、真綿から手で糸をつむぎだす技術が古来から受け継がれています。はじめに絹を糸として発見した人は、きっと指先でつむいでみたことでしょう。この「手つむぎ」の技術には、人と絹の一番はじめの関わりが息づいている、と言えるかもしれません。なんだか、ワクワクしませんか?

奈良時代~弥生時代:絁(あしぎぬ)=悪しき絹・・・???

結城紬の源流は、絁(あしぎぬ)という古代の絹織物とされています。その絁が二千年前には織られていたとすることから、二千年の歴史、と伝えているのです。絁とは、繭から一度に沢山の糸を引き出して織る太い糸の絹織物で、結城紬のみならず、紬全般のもととなるものと言われています。書物の中に多数登場していた絁は、鎌倉時代頃にはみられなくなり、かわりに「紬」という文字が登場し始めます。

鎌倉時代~室町時代:常陸紬として庭訓往来に登場

源頼朝が幕府を鎌倉に開くと、政治の中心が関東になり、関東の産業も活発になります。質素が良しとされ、絢爛豪華な絹織物の需要は減りましたが、紬は見た目が質素で、かつ堅牢であったため、当時の武士の好みにかないました。結城の地は蚕業の中心として栄え、常陸紬(のちに結城紬と呼ばれる)は室町時代の「庭訓往来」のなかで、諸国名産の一つとして挙げられています。

江戸時代:やっぱり武士好み。倹約令も工夫を凝らして乗り切りました

常陸紬と呼ばれていた紬は、結城の地の発展、結城家の勢威、政治的・経済的な力などから「結城紬」と呼ばれるようになり、江戸時代のはじめには縞柄も登場、「粋」という概念とともに、江戸の町で人気を博します。倹約令、奢侈禁止令が公布された際にも、一見木綿のように見えることが取締りの難を逃れることもあったようです。また縦糸に木綿糸を使用した「貫紬」には紬の命脈を保つための工夫が見られます。

明治時代:時代の変化と技術の進歩。男ものから、男女問わず人気を博すものへ

江戸時代の結城紬は、武士や大店の店主など地位ある男性が着るものでした。明治時代の結城紬も、資料の多くは男もので、文学に登場する際も男性の衣装として用いられています。変化するのは明治の後半、それまで結城紬の着用が不文律だった兜町・証券取引所にて明治35年に出入りの際の洋装が義務付けられると、縮織りや絣製織技術の高まりとともに、女性のおしゃれ着へと次第に変化していきます。

大正時代~第二次世界大戦前:大正ロマン、華やぐ文化

大正時代は日本の女性がきもので一番おしゃれをした時代と言われています。化学染料による鮮やかな色の着物が多く作られ、結城でも昭和初期にかけて絣による柄づくりの技術が発達、現在では見られないような手の込んだ柄表現の反物が多く作られていました。また結城紬の生産反数も、最大を記録しているのは大正時代です。

第二次世界大戦戦時中:使えるものは全て使う、結城紬の国民服

昭和十五年に国家総動員法に基づく政令が公布、そのなかの奢侈禁止令は、江戸時代とは比較にならない打撃を結城の産地に与えました。なんとか技術保存として特免をうけ、配給の枠内で命脈を保った先人の苦労は図りがたいものがあります。また資料として残る結城紬の国民服には使えるものは何でも使う、当時の差し迫った状況がうかがえます。

戦後・昭和高度成長期:高級織物として定着。重要無形文化財指定

戦争が終わり、生産も回復に向かいつつあった昭和28年、本場結城紬織物共同組合は結城紬を無形文化財にすべく運動をはじめ、31年に国はその歴史の深さから、平織りの結城紬を重要無形文化財に指定します。平織りの価値が高まると縮織りは激減、昭和50年には全生産量の1%以下にまで落ち込みました。まだまだ多くの人がきものを着ていた昭和の意匠には、色も柄も個性豊かなものが多く見られます。

現在:いまも生きる二千年の布

結城紬には、古来から受け継がれてきた手仕事が今も息づいています。伝統は、変わらない部分と、時代によって変わる部分がそれぞれにあってはじめて、時代を超えて愛されるものになります。現在では、古の技を伝えながらも今を生きる絹織物として、時代の感覚に合う新しいデザインが日々生み出されています。また卓越した技術を背景に、ショールなど洋服にも合わせられる商品も登場しています。日本の誇る伝統はその悠久の歴史を継ぎながらも、自ら革新していくことにより、次の時代へと繋がっていきます。

ミニコラム:昔の結城紬。柄はなかったの?

二千年の歴史を持つ、といわれる結城紬ですが、縞が織られるようになるのは江戸時代の初め。絣柄が登場するのは、幕末です。いわば、無地の時代が約1600年以上、絣柄物の時代は200年にも満たない、というのはちょっと驚きです。一度技術が世に現れると、簡単な絣模様はより複雑になり、中には人間の限界に挑戦するような細かな模様も織られるようになりますが、無地の時代の長さを想うと、結城紬=亀甲というイメージが、少し揺さぶられませんか?

年表

前86 崇神天皇12年
多弖命(たてのみこと)が久慈国に遷り機殿を造立して絹織物を織る。これが、絁(あしぎぬ)で後世長幡部の絁と伝えられる、結城紬の原型が織られる。
714 和銅7年
奈良時代、常陸国から朝廷へ上納された絁の記録があり、その布は今も奈良の正倉院に保存されている。
808 大同2年
「古語拾遺(こごしゅうい)」の中に、麻・穀木【楮や木綿(ゆう)の木】など当時の衣料資源の豊穣の地として、結城の名の起源がみられる。
1332 元弘2年
「庭訓往来(ていきんおうらい)」の中に諸国名産の一つとして「常陸紬(ひたちつむぎ)」の名がある。
1601 慶長6年
結城家十六代秀康公が越前福井に移封された後、結城の地を治めた初代代官伊奈備前守忠次は、染色の縞の技術を導入するなど「結城紬」の復興に努める。
1636 寛永15年
「毛吹草(けふきぐさ)」の中に、7産地10種類の紬が諸国の名産として取り上げられており、この中に結城紬の名称も出ている。
1713 正徳3年
江戸時代の百科事典「和漢三才図絵」に最上品の紬として取り上げられる。
1866 慶応2年
大塚いさ、須藤うたの両者によってはじめて絣文様が織られる。
1887 明治20年
布巾(一巾)に30通りの亀甲文絣が織られる。
1956 昭和31年
本場結城紬の製造工程「糸つむぎ・絣くくり・地機織り」が国の重要無形文化財に指定される。
1977 昭和52年
「結城紬」が伝統的工芸品に指定される。
2010 平成22年
「結城紬」がユネスコ無形文化遺産として登録される。